レポート「政治と戦争報道は真実を見えなくする」

 政府や権力というものはしばしばメディアと結びつきを強め、メディア、特に報道やジャーナリズムに圧力をかけたりすることがある。それが戦争などの大きく政治的な問題が絡んでくる話になるとその傾向がなおさら強まる傾向があるといえる。そして日本は、その傾向が顕著だといわざるを得ない。かつて第二次世界大戦のときに、日本政府は検閲や情報管制の効率化を図って全国に散らばる地方紙の統合廃止を推進し、結果として現在の新聞体制、大手民放がメディアを独占する状況が発生してきたのは言うまでもないが、このことは同時に政治の権力によってメディアの言論が封殺された瞬間でもあった。そしてメディアによって戦争の真実の部分が隠されて報道されたりする状況、1940年体制は今もなおあまり改善されてきてはいないといえる。記者クラブという制度が政府という上からの発表を下に向けてそのまま流す制度であるように。
 そしてその日本メディアが抱えている体質というのはイラク戦争のときにおいても遺憾なく効果を発揮したといえる。イラク戦争はもともと、911以降アメリカが主体となって「テロとの戦い」を推し進める中で、フセイン政府を倒してイラクにある大量破壊兵器をあばこうという戦争であるわけだが、誰もが言うようにもはやこの戦争にその大義は無い。こうして、アメリカでは世論がそのことに気づいて、この大義の無い戦争を推し進めたブッシュ政権の支持率は大きく下がることになったわけである。翻って日本ではイラク戦争に対する人々の反応はどうだろうか。アメリカや他の諸国と比べると政府に対するイラク戦争の責任を批判する世論はあまり形成されていないと思う。というよりいまや人々はイラク戦争のことにあまり興味が無い。今の国民の最大の関心事は参議院選挙であり年金問題であり、選挙の話題にイラク戦争のことがのぼることも無い。
 メディアやジャーナリズムというものは、その日その日に起こった事の真実を伝える必要がある。イラク戦争の際に日本のメディアは果たしてそれを徹底できていたかどうか。私は、できていたとはいえないと思う。イラクで日本の自衛隊が何をやったかという現実、イラクの状況が今どんなものであるかという現実を伝えること以上に、いたずらにイラク派遣したことによることに対する日本の自衛隊の功績をひたすら報じている。そのように思えてならない。だから私たち視聴者には、正しいこと、真実が伝わりにくい。向こうで起こっていることと、日本の世論との間に温度差があるような気がする。そういう状況を引き起こした背景には先述のような、メディアが政府の「大本営発表」をそのまま報道していたり、それを支える記者クラブ制度のような制度が今もなお残っていたり、メディアがその利権なしにはやって行けない状況に陥っていたり、というものが背景として大きく絡んでいるのである。
このような、政府がメディアを護送船団のような形式で丸々囲い込んでいるような状況は日本のメディアのジャーナリズム的な視点の育成を大きく阻害している。だから日本のメディアはジャーナリズム力というか、真実をありのままに正しく伝える能力が欠如しているということはしばしばいわれる。メディアのジャーナリズム力の欠如は回りまわって視聴者のジャーナリズム力の欠如に直結してくると思う。この長きにわたる1940年体制になじみきってしまった国民はメディアに対するリテラシー能力というものを諸外国と比較して持ち合わせていない。
しかもこの報道体制に対して何がしかの疑問を抱く人というのはごく少数ではなかろうか。いわば国民もその体制に慣れきってしまっているところがあるのでテレビの報道に対して疑問を抱く人もそんなに多くは無い。そしてそのような状況に置かれた国民というのは、事の本質が知らされず、ただ単純にメディアの流す情報を鵜呑みにしてしまう。かつての第二次世界大戦ではそのような情報の非対称性みたいなものがもっと顕在化していて、軍部の暴走をメディアが止められず、メディアの暴走を国民が止められず、結果として悲惨な事態となったわけである。さすがに戦後はそのような極端な暴走が発生する可能性は相対的に低いと考えられるが、それでも今回のイラク戦争に際しても国民はどちらかというと賛成、やむをえないという意見が多かったことからみて、そのような傾向は今もなお残っているといえるのではないかと思う。
ではこのような状況から脱却するためにメディアはどのような措置をとればよいのか。一番手っ取り早い方法は、やはり政治とメディアの結びつきを弱めることに尽きるのではないか。政府の流す情報を流しそうめん的にそのまま流して、そのままに解釈する今のメディアのあり方を根底から変える必要がある。断っておくが私は何でもかんでも反対しろ、政府にたてつけと言っているわけではない。ただ、政府の流してくる情報に賛成であれ反対であれ、もう少し立ち止まってジャーナリズム的な視点で持って物事を見据えないと事の本質を見失うのではないか。ありのままのことを伝えることと、速報性は相反する事柄であり、その両立は難しいだろうが、本質を捉え切れていないままに視聴者に情報を流すことのほうがかえって厄介なことになりうる。
昔と違って国民も盲目的にメディアの報道する内容を信じる人は少なくなりつつある。理由は媒体が増えたからだ。具体的に言うとインターネットである。ネット上の情報にはテレビで報道がされなかったものが数多く存在する。またネット上での意見交換もブログみたいなものを通して行われている。そのような人たちはどちらかというとテレビの流す情報に対して懐疑的だ。今後もしテレビを取り巻く状況が何も変わらなかったとしたら、インターネットのような新しい媒体から情報を得ている人々はもはやテレビの情報を信用しなくなってしまうだろう。現にそのような状況は起こっている。
「戦争で最初に犠牲になるのは真実である」がしかし、真実はいくら政府やメディアが必死になって覆い隠そうとしても人々に漏れ出してくる時代になったといえる。ともあれ既存メディアは変容を迫られている。