俺の大学Aの、俺の学部の、気持ち悪いところ

 俺の大学(以下大学A)に関する話をひとつ。31日にハロウィンパーティーでお世話になったつながりで、先日他の大学(以下大学B)の輪の中に一人で入っていって家でご飯をみんなで食べたことがあるのだが、その時に思ったことをひとつ。
 俺の大学、特に俺の学部って、集団じゃないと何にもできないんだよね。個人レベルだと大学Bに負けてる気がした。
 大学Bって、自主性とか自律を重んじている校風らしくって、実際今どんな研究やってるのか訊いてみたらみんな面白いくらいばらばらでさ。しかもみんなちゃんと本とか読んでる。それも文学からカントにいたるまでいろいろ。で、そんな研究の話とか小難しい話も日常会話でできちゃうわけ。
「本何読んでんの?」「最近は○○だよ」「あー○○のこの部分よかったよねーうんぬんかんぬん」とかしゃべっちゃってるわけ。お酒入ってるのに。
 普段はおちゃらけて酒とか飲んでても学習の芯がしっかりしているな〜という印象を受けた。そんな個人プレイ全開な大学Bの話を訊いて思ったのよ。
 俺の大学Aって研究進めるのとかでもグループで進めるの大好きなのよね。俺の大学で有名なゼミでもグループで考えさせてグループで発表させてグループで喜びを分かち合うスタイルをとってるし。そもそも大学Aでは1回生で入ってきたときに基礎演って言う小集団クラスでグループワークの練習とかさせられるわけ。それ以外にも俺の大学Aってやたら友達作らせる機会が多いのよ。そういうサポートがやたら手厚いんよね。やたらとコミュニケーションをとらせようとする。でも大学Bには基礎演というシステム自体が無かった。びっくりしたよ。基礎演無いとか。でも、それが普通なのかもな、とも思ったりした。
 何で俺の大学Aってそこまでグループで何でもやりたがるのだろうね。確かにグループで何かを成し遂げたら達成感はあるだろうし絆も深まるだろうよ。でも個人的なレベルで考えたら大学Bには勝てない気がした。結局つるまんとなにもできんのだよね、俺の大学って。
 別にコミュニケーションすることが悪いことだって言ってるわけじゃないんやけどさ。入ったときから先輩方やシステムによって「お前のコミュニケーションする幅はここからここまでですよ〜」って暗黙裡に定められて、その暗黙のルールにみんながニコニコ従って結局人工的で恣意的な内輪集団が何個もできちゃう、そのさまが気持ち悪いなと思ったのさ。もっと好きにコミュニケートさせてくれよと。そりゃつるまんと何にもできなくもなるよ。むやみやたらにみんなで考えるなよ。それは思考じゃなくて会議だ。もっと一人で考えろよ。一人で考えた結果を持ち寄るのが本来の切磋琢磨の姿じゃないのかよといいたい。それでいて一人で考えてるやつは何となくこきおろす風潮があるから俺の大学Aの俺の学部はたちが悪い。
 何なんだ。原因は何なんだ。俺がもっと深く考えずに馴れ合うべきなのか。俺のコミュニケーション能力が足りないというのか。
 俺のコミュニケーション能力は断じて足りていない。じゃなきゃわざわざ他の大学のコミュニティの中に単身乗り込んだりなんかするわけがない。
 書いてたら胸糞悪くなってきた。あー胸糞悪い。もうさ、大学AとかBとか言ってるのも気味が悪い。俺の大学ばらしちゃおうかな。
 やめとこう。まだ。