俺の学部の気持ち悪いところ後日譚を書いていたらいつの間にかコミュニケーションの話になってしまった
俺の大学Aの、俺の学部の、気持ち悪いところ
この前は愚痴みたいなエントリだったな。
つまりある種の、インテリ感というか、研究者的な雰囲気が微塵も感じられないんだよね。これがこの学部の長所でもあり、短所でもあると俺は思う。誤解されるといけないから先に言っておくけど、元気があることはいいことやし、別に、もっと殺伐としろ!つるむな!って言ってる訳じゃない。ようは、主体性があるかどうかなんよ。まぁ主体性に関しては俺も人の事言えないから何も言わないけどさ。協調性も大事かもしれないけど、一人でサバイブできる能力も大事なんじゃないのって思うのは俺だけですかね。あくまで自明のことですが、人は他者と関わりあって生活する生き物ゆえにコミュニケーション能力は必要不可欠な要素です。これは自明のことです。だとしても、俺の学部はどうもコミュニケーションに偏重しているきらいがあると思えてならないのです。互いを高めあうためのコミュニケーションならともかく、コミュニケーションのためのコミュニケーションは楽しいかもしれないけどそこから学び取れるものってわずかなんじゃないかなと思います。なんというかね、つるむことで安心してるやつが多過ぎる。つるんだらそりゃ精神衛生上は良いかもしれないですけど、つるんだところで状況って案外変わらなかったりするんじゃないのかなって思います。そりゃ10年前、20年前ならつるむことには大きなインセンティブがあったけど、今なら、つるんでる事で入ってきそうな情報ってネット経由で大体入ってくるもんじゃないのかなって思うんですけどね。つるむという行為に対するリターンが昔に比べて相対的に小さくなってきている気がしてならない。暴走族とかが年を経るごとにいなくなってきたのも何かしらのそういう因果関係があるんじゃないですかね。だからつるまない人、もっと大きな話になると、他者とフェイストゥフェイスでコミュニケートする必要性をそれほど感じていない人がいてもおかしくない時代にどんどんなってきてるんですよ。たぶんネットが一因なんだろうけど。この前のエントリで例に出した同志社大学の場合は、そういう価値観を持つ人もリアルな世界で認められていたりするわけなんだけど、俺の大学、殊に俺の学部の場合にはそういう価値観自体を許さないという言い知れない空気みたいなものが存在しているんですよ。つるまなければ安心感は得られないぜ!的な。おかしな話でしょ、ましてやメディア専攻だというのに。メディア専攻というからには多様なメディアに触れていて、先述したような俺の考えに近いような人も少なくないはずなのに、うちの学部ではなぜかそういうベクトルには話は進まない。つるむことがリアルで認められる事と直結しすぎている。これはパラドックスなんじゃなかろうか。メディア専攻だとどこの大学でもそうなるんですかね・・・。なんかまとまりきらないのでいいや。また愚痴になりそうだし。
というわけで3回生後期というこの期に及んで、もっと全うに勉強したいという純粋な欲求が日に日に高まっているのを感じます。だからといって大学院に進学しようとはあまり思いませんが。欲求に対して行動は確実に伴っていません。講義は相変わらず面白くないものも多いし、サボってしまうことも多い。だからこそ僕はここのブログの場で少しでもその欲求を満たそうとしているわけで。
だめだなーまとまりきらんなあ。