なぜ暇人の非リア充がネットに集まるのか(自分も含め)

 夏休みも10日ほど経ったが、僕はめっきり友達と会わなくなってずいぶん暇になってしまった。
 mixiなんかで友達がどこそこ行ってきたよーみたいな日記を書いてるのをしばしば見かけるし、みんな花火やら海やら楽しんでいるようですが、今年の自分はそれにしても何でこんなに予定がないんだよってくらい予定がない。予定といえばゴールデンウィークに事故って全損扱いになった愛単車フュージョンを買いなおして復活させることと、インターンと、ゼミの旅行と、研修くらい。でその予定の合間に大体バイトがやって来ることになるのだろう。さすがにへこむ。去年は彼女いたからよかったけど今年は暇すぎる。

 先輩の方々は「大学生のときにしかできないことしとけよ」って言うけど、大学生のうちにしかできないことって、何だよって思う。バイトだって、バイクであてどもなくぶらぶらすることだって、意味もなく夜更かしすることだって、インターンだって、ゼミだって、言ってみれば大学生のうちにしかできないことなんですよ。だから俺は十分大学生のうちにしかできないことをしているはずなんだけど。でも先輩方が描く大学生のうちにしかできないことって言うのはもっと壮大で自由な、世の中の楽しい部分の塊なんだろうなと思う。何でみんな大学生のうちにしかできないようなことを意識してしたがるんだろう。大学生のうちにしかできないことって、案外大学生じゃなくてもできたりするもんだと思うんだけど。時間さえあればね。重要なのは何をするかじゃなくて誰とするか、なのかも。大学の友達というのは、一番しがらみがない存在だろうし。
 余談は置いといて。

 さて、夏休みになってそういう大学の友達とめっきり会わなくなってしまった。で僕は暇になってしまったんだけど、一方ではちゃんと連絡を取って友達と遊んだりしている人だっている。そういう人って、たとえば遊びに行くときとか何かをするときとかにはもちろん特定の誰かを誘うってことをすると思うんだけど、なぜかしら自分はあまりそういうことをしないような気がする。予定といえばもっとパブリックなもの(インターンとか、ゼミの旅行とか)に限られてくるし。そこでは輝きを発揮できるんだけどね。たぶん。
 で、思った。
 リア充と非リア充を分けるポイントの一つに人をプライベートで誘う能力があるかどうか、があるのじゃないのかと。つまりリア充はその能力があって、非リア充にはそれがない。
 で、ここでもうひとつ重要なのが、人を誘う能力がある人も誰彼かまわず誘っているわけではないということだ。むしろ誘う人って言うのは逆に限定されてくる。何をするにも一緒の仲良し5人組〜みたいな*1。いつものメンバーで一緒に行動するので遊ぶ人を探すコストがかからないし、予定を合わせるコストも比較的かからないはず。むしろそのコストをかけないためにつるんでいるようなところもあると思うけど。したがってリア充の付き合いというのは狭く深くという形になる。
 逆に言えば、非リア充は広く浅くという形の付き合い方なのである。*2自分もどちらかといえば広く浅い人付き合いをしている。仲良し5人組〜みたいなグループに入りたがらない。窮屈だし付き合いの幅を限定させているような気がして。広い付き合いをしているから学校あるときは話す人には全く困らないのだけどこういう夏休みとか言ったシチュエーションになるとすこぶる予定が埋まらなくなってしまう。そういう人は誰かと遊ぼうと思って誘おうにも遊ぶ人を探すコストがかかってくるし、予定をあわせるコストも必要以上にかかってくる。仲良しグループなら海に行くのもたやすいけど、広く浅い付き合い方をしているとメンバーを集める時点で困難だし、ましてや誰かから誘われる可能性もない。だから結果として非リア充になる。そして、予定がないから、単身ノリで思いつくままに行動しだすようになり、その場その場でノリが合った人たちと儚いシンパシーを共有しだすようになる。例えばクラブハウスとかに一人で行って、たまたま位置が近かった人と仲良くなったりとか、踊ってるうちに目が合って仲良くなったりするのと同じ状況である。誘う能力は無いにしても、お互いノリで動いているので表面的に打ち解けるのは早い。
 そして、ここまで自分が書いてきたことはそのままネット上での彼らの行動にも表れているのではないかと思う。つまり仲間内での馴れ合いを求める狭く深い付き合いのリア充mixiに流れていって*3、もっと偶有性というか、ノリで多くの人のコミュニケーションを求める広く浅い付き合いの非リア充はblogに流れたり、2chに流れたり、ニコ動に流れたりしているのではないかということである。短絡的かな。でも昔に比べたら広く浅い付き合いをする人って言うのは確実に増えたと思う。昔を知らないから根拠は無いけど。そもそもネットが広く浅い付き合いをさせるメディアなので、広く浅い付き合いをする人がネット世界にのめりこんでいったり、ネットが広く浅い付き合いをする人を再生産しているということはいえると思う。こうしてネットは逆説的に非リア充にとって居心地のいいメディアとなった。さっきのクラブの話でいくと、僕の知ってるDJサークルも案外2ちゃんユーザーとニコ動ユーザーが多い。

まとめると
  • リア充=人誘う能力ある=誘う人限定されるが誘いやすい=狭く深く=仲間内の馴れ合い=オレンジデイズ=オレンジ=mixiに流れる
  • リア充=人誘う能力無い=誘う人限定されないが誘いにくい=広く浅く=その場のノリや不特定多数とのコミュを求める=blog、2ちゃんに流れる
  • (仮説)ネットは広く浅い付き合いをする人をふやした。そもそもネットの特性が広く浅い付き合いを促すのであり、だからこそリア充にはクローズドなmixiぐらいしかとっつくものが無い

 にしても、暇だなぁ。

追記というか関連っぽいエントリ

http://blog.livedoor.jp/mojo_hitsuji/archives/50283480.html

*1:俺の中のリア充はなんかこういうイメージ。だから別にオタクとかで非モテでも仲良し5人組ならこの話の中ではリア充とみなす

*2:狭く浅くの場合もあるけど割愛。非リア充非コミュって言うのは同一ではないと思う

*3:id:lovecallさんのこの記事を参照しました。確かにmixiは女社会だと思う