この先「リア充」か「ネト充」か、しか選択肢がないように思えて仕方がない

 haikuで書こうと思ったら予想外に長くなったのでこっちにあげます。
 はてな、ブログ、ニコ動、2ch・・・この1年でネットコミュニケーション空間にコミットすることが格段に多くなった俺だけど、俺は果たしてそれ以前よりも幸せ*1になっているか?ふと思った。
 俺はどうもネットをやっていれば幸せになれると思っている節があった。少なくとも1年前はそうだった。
 今はそうでもない。ネットでのコミュニケーション自体には何も不満なく楽しめることが出来るんだけど、あまりにもそれが実生活と紐付いていない「彼岸の地」なので、それこそ没入してしまったり、逆にリアルとのギャップに気づいて我に返って、虚無感に苛まれることがあるのだ。
「俺は一体誰に対して主張しているんだ」、と。主張する対象がはっきりしないのは正直張り合いが無い。楽だけどね人の気持ち考えなくて良いから。そういう虚無感ですよ。
 haikuはその点HNでの付き合いだからまだそんなことはないなんだけど、それでもほとんどの人とはネット空間でのテキストとスターだけの絡みだけだし、どっちにしても大学での勉強やら友達やら就活とといったリアルとは別な世界の話としか受け止めることが出来ないんだよね。ましてや2chなんて本当に彼岸の地だよ。で、またそれが居心地が良かったりするから困るんだよね。で、気がついたらその彼岸の地に引きづり込まれている。
 2chは各方面の専門家が集まる場所である以上に、コミュニケーションに飢えた人たちが集う、コミュニケーションの坩堝の役割を果たしていると思うんです。そこで繰り広げられるコミュニケーションは、障壁がほとんどない。一見お互い罵り合ってたり釣り合ってたりして、傍目から見ればピリピリした場所に見えかねないかもしれない。
 しかしひとたび入ってしまえばそこはとても居心地のいい彼岸の地なわけですよ。それはひとえにコミュニケーションの障壁が低いからであって、みんな匿名だから言いたい事言い合えるわけなんですよね。
 それにはもちろんいい面もあって、みんなが思っている本音の部分を共有できたり、共通の問題意識を大勢の人に抱かせたりすることが出来る。それが先日のような毎日新聞の悪態を糾弾することにつながったりするわけで、まぁまだまだ問題を抱えているとはいえ、権力を持つものにとっては相当な脅威になりうると言うのは間違いないんです。
 が、障壁がないだけに抜け出せない。リアルでのコミュニケーションの軋轢がしんどくなればなるほど、まるで蟻地獄のように、甘ったるいコミュニケーションの坩堝に引きづり込まれている。*2しかもそれは所詮彼岸の国での話しなので、リアルが変わっていると言う実感がまるでないんです。別にリアルで2chの笑えるネタを引っ張り出してくるようなことはしないしね。博識な方がたくさんいて知識もつくし、「おお」と感心することもあるんだけど、その知識や感心はなぜかその場限りで終わってしまって、つぎのネタに走ってしまう。
 ネットによって自分自身が高められている実感がないんですよね基本的に。ネットしててもしてなくてもあんまり自分のリアルな価値*3は大差ないんじゃないか、むしろ低くなってないか?って思うんです。それが、「自分は果たしてネット以前よりも幸せになっているか?」と言う問いの根本にあって、ずっとわだかまってます。かといって世の中自分のコンテンツがネットで売れて幸せになってたりするひともいるわけで。
 何だかまとまりきりませんが。
 どうがんばってもリアルとネットが紐付きません。世の中リア充ネト充の二極に分かれていくような気がしてなりません。
 というよりこの先幸せになるにはリア充ネト充か、どちらかの選択肢しかないように俺は思えてならないのです。リアルでのコミュニケーションを大事にしようと思えばネット上でのコミュニケーションが邪魔をする。逆も然り。中途半端にしてたらリアルからもネットからも機会を逃しかねない。
 なんとなくそんなぼんやりとした焦りと言うか、わだかまりを感じています。楽なほうに流れるおまえが悪いと言われればそれまでの話です。

*1:ここで言う幸せとは、友達と円滑に付き合えているかとか、自分の将来が軌道に乗っているかどうか、とかそういった類。リアルでの社会的な幸せ

*2:別にdisってるわけじゃないんですがね

*3:友達づきあいのなかでのコミュニケーションの助けと言った些細な価値から、自分の市場価値と言った大きな価値まで