タウンページの必要性はもはやないと思う

今日何気にテレビのCMを見ているとタウンページのCMが流れた。なんか、石原よしずみがとあるおじいちゃんの家に訪れたところ庭の木がぼうぼうになっている。そこでよしずみがタウンページ使えばいいんだよっつってペラペラめくって剪定の業者を頼む、といった内容なんだけど。
 そのぱらぱらめくって調べるといった光景がどうしても僕の目にはなじまなかった。というよりそういう光景を久しぶりに見たって言うのもあるかもしれないけど、googleなどの検索エンジンで検索したらなんでもほしい情報が手に入る昨今、果たしてタウンページの必要性は本当にあるのだろうかとふと疑問に思ってしまった。ぱらぱらとページをめくって「えーっと」っつって業者を探す光景に時代錯誤を覚えたぐらいである。「ここなら遅くまでやってるー」とか、言わんでしょ。タウンページ見ながら。
 タウンページを引くってのは辞書を引くのとはまたわけが違うと思う。タウンページのほうがより情報に近いものであり、しかもその情報は新しくないと意味がないし、そういう点でネットに代替可能なものだからである。これから先、辞書はかろうじて生き残るかもしれない。けどタウンページは果たして生き残る事ができるのだろうか。使う人もCMに出てくるようなネットにリテラシーのないおじいちゃんおばあちゃん世代がこれからもっと主流になってくるだろうし、そういう人もいずれ世代交代によって消えていってしまう。おじいちゃんおばあちゃんでもネットを使いこなせるひとが増えてきたらタウンページの存亡はますます危うくなるかもしれない。今日でも、家にタウンページが置いてある一人暮らしの大学の友達なんか僕は見たことがないし、実家の場合でも、某かの情報がほしい場合は親が子供に頼んでネットから情報を引き出しているような状況である。たとえば目的地に行くまでの地図とか。
 そもそもタウンページの利点ってなんだろうか。そりゃ、ネットがない時代にはそれなりの利点はあったには違いないだろう。枝の剪定のように何か業者に頼むとか、医者に行かなきゃいけない時とか、そういう時は業種ごとに分かれているので便利だったろうし、業者も業者でタウンページに番号を載せることでによってお客さんがくるんだから、どちらにもよい影響があった時代もあったろう。
 でも今日、そのような利点はネットとかぶりまくっているし、もっと言えばネットに取って代わられようとしている。枝の剪定の業者も医者もだいたいwebページを持っているし、下手すればそっちにもう電話番号が載ってたりする。そういうページが存在していた状況に加えて、検索エンジンの発達によってそういうページをいとも簡単に探すことができるようになった。
 まだモバイル性があってそのままクーポンになったりするホットペッパーとかならまだしも、もうタウンページの生きる道はないと僕は思うが、どうだろう。