後悔を最近よくすることについて

最近後悔をよくしています。
授業行くのがだるくて家にいて、後になって『あーいっときゃよかったなぁ』とか。教習所でちょっと知り合いになった女の子にメアドを聞こう聞こうと思いながら聞けず、うかうかしてるうちに向こうが先に卒業してしまって連絡のとりようがなくなった、とか。あげはじめたらきりがありませんが。

そのときそのときの自分の判断が、後々になって思い返してみたらあーあんとき○○しておけばよかったーって言うことがよくある。後悔は、時にはその判断をした10秒後にはやってくることもある。

そのときそのときの判断も、あとあとになってする判断も、同じ判断には違いないけど、そのときの判断というものはなぜか思い切りが足りないんよね。優柔不断ってのはまた別。その場の判断というものはどうしてもその場で物理的にも精神的にも楽をする方向に流れてってしまう。

あとあとになって後悔するときに考えた理想の判断が、そのときそのときにできたら、人生はもっとよくなるしもっと愉快になると思う。

とかく昔の僕にあって今の僕に足りないのは言葉の思い切りかな〜と最近思いますね。若気の至り、見たいな事がなくなったんでしょうかね。落ち着いたというか。
その場では空気読めへん気まずい発言*1でもあとあとになると自分によい結果として跳ね返ってくる思い切りのある言葉。
これがさらっとズバッといえるようにならなきゃだめだ。

*1:気まずいって思うのも半分思い込みで、空気を気にしすぎて自主規制してる状況自体を変えなきゃいけないのかも、とも思う