本心の取り扱い方がわからない

自分が(男女関係なく)誰かに本心を伝えるときって、
いつもそれにオブラートを何層にもくるんで
根も葉もないことをぶっきらぼうに言っているフリをしている。
言ってみりゃすごく遠回りなコミュニケーション。
自分にとっちゃオブラートのクッションがあるおかげで、何を言っても自分はあまりこっ恥ずかしい思いをすることはないし、自分はそれで本心を言った気分になっちゃってるんだけど、
その分相手にも伝わりにくいし、よく誤解される。
ネットの中でこうやって発言するときでさえ、本心にはオブラートをかけまくる。本心が言えるのはリグレトないし2ちゃんぐらいじゃないだろうか。
もっとストレートにいろんなことが言えたらどんなに楽だろう。どんなにお互い分かり合えるだろう。
素直に「愛してる!」とか「好きだ!」とか「これからも友達でいてね!」とか「あんたは間違ってる!」とか「黙れ!」とか「きらい!」とか。
空気だとかを気にしなきゃいけない状況の中で、「空気を読め」っていう短絡的な言葉でとどめることなく、そういう素直な気持ちがさらっと言える人って本当にすごいと思う。

あるいは、逆なのかな。心置きなく自分の本心や感情をぶつけれる人が、結果的に恋人なり親友なりに発展していくのかな。

どっちが先なんだろう。
どっちにしても本心は誰にもダイレクトに伝わらずに、実名・顕名の手を離れた場所にとどまって、澱んでいくばかり。もどかしい。

無題

 一ヶ月以上更新してなかった。いかん。
 大学の授業が終わってしまって、頭の中にインプットしてくるものが今何もない状態なので何か書くのもすこしためらわれるようになってしまった。
 いかんなぁ。卒業してからも、大学レベルの頭を何とかがんばって維持していたい。せめて本はがんばって読むようにしないと。
 最後の授業を受けていたときに、あぁこれで授業らしい授業を受けることも今後ないんだろうなぁとか考えると妙に感慨深い、っていうか切ない気分になった。
 今は春休みで、基本的には暇に過ごしながら時々友達と遊んだり、旅に出てみたり、ゼミの仲間と遊んだりしている。あんまりお金がないので海外とかにはいけないだろうけど、それなりに充実した春休みを過ごせている。

 
 卒業式までの日にちがだんだんなくなってきた。
 引越しの準備もしなくちゃいけない。友達の中には引越しの準備に追われている人や、新しい家を探している人、もう引っ越しちゃった人もいる。
 中高なら、まだ卒業してもみんな地元にいるからその後も会える可能性高いけど、大学は卒業しちゃうとみんなすぐ社会人だし、全国散り散りになっちゃうから、会えない人とか出てくるんだろう。もしかしたら、大学の卒業式を最後に、もう一生会わない人もいるんじゃないかな。大半が東京にいるだろうから、東京に行けばそれなりにいろんな人に会えるとしてもね。
 仕方がないんだろうけど、寂しいもんだね。
 まだまだ卒業までに会っておきたい人がいる。一生会えなくなる前に、会っておかなくちゃいけない。

「ナルシストランス宣言」の写真を見てきた俺がこの騒動についてそろそろひとこと言っておくか(重要:追記アリ)

 立命館大学の「ナルシストランス宣言」をめぐる騒動は、ちょっと知らん間になんやらえらいことになってるみたいですね。
 個人的にすっごい興味あるので、id:tzetze氏、id:amamako氏、id:K416氏の主張もお借りしつつ本当に乱暴に、ことの経緯をまとめてみました。

http://www.geocities.jp/rits_queer/(この団体がさんしゃと文のラウンジにポスターを掲示
趣旨はこういうことらしい
http://www.geocities.jp/rits_queer/syosai.html


1月23日(金)当局と自治会のもと、撤去される


(団体のブログ記事でアジテーション活動起こる。当事者たちのブログ)
http://d.hatena.ne.jp/tzetze/20090123/1232712191
http://sukudomo.blog.drecom.jp/archive/192


はてな界隈で賛成か、反対かちょっとした盛り上がりを見せる

1:
http://d.hatena.ne.jp/amamako/20090124/1232743732
(経緯のまとめ+撤去を支持するよ派)

http://d.hatena.ne.jp/amamako/20090125/1232840040
(「性は社会的なものだよ。これはフェミニズムによって提起されてきた重要なテーゼだよ。だから今回の場合の表現も社会的な形をとらなきゃいけない」)
(「自治会も同意してるんなら良いじゃん」)

http://d.hatena.ne.jp/aeromix/20090124/1232789871
(「そもそもセクハラじゃん」)

2:
http://d.hatena.ne.jp/K416/20090124/1232769227
(経緯のまとめ+撤去反対だよ派)
1. 「性=個人的なこと」っての自体が問われてるよ
2. 「セクハラだ」ってのは、ちょっといろいろふまえられてなくない?
3. 「学問の装い」に対する批判は、これもいろいろがふまえられてなくない?
※もうひとついうと、学生自治会なんて今や立命館とグルじゃね?っていう話も絡んでくる。

http://d.hatena.ne.jp/syujisumeragi/20090125/1232869583
(そもそも当局の行いは器物損壊じゃね?)

・・・・・・・・・
とまぁこういうことになってるわけです。

 俺は全然当事者とは何のかかわりもないし、このごたごたには何も関わってない、ただの一傍観者であるということを前置きにして言わせていただくと、

 結論から言えば俺は撤去支持です。
 実は俺はこの写真が実際に張ってある様子を目の当たりにしていました。
 ラウンジで友達とテストやべぇwwwwっつって勉強してたときに、例の写真が目に入ってきたのですが、なんていえばいいのかな、ぱっと見はなんとなく化粧をした男女*1らしき人物が、無背景の中で小奇麗な衣装を身にまとって、時には上半身肌けたりしながら、抱き合ったりしながら、多少やらしめなポーズを取っているというものでした。そんないろいろなポーズをとった写真が、ラウンジに40枚近く貼ってあったかな。見たときは何でこんなあからさまにいやらしい写真がべたべたはってんねんとおもいました。で、友達と面白半分に見に行くと、彼らの一部の写真では性器があらわになっていました。でも、その写真に写る人物は男性的ながっしりした体格の割には、男性器らしいものがない、ふたなり*2でもない、むしろこれは女性器か?というものでした。
 そこで気づきました。これはどうやらセクシャルマイノリティのイベントらしい。俺は、なんとなくそこで納得しました。まぁセクシャルマイノリティなら仕方がないなー、普段セクシャルマイノリティということで表現したいという欲求はあるだろうし、この試み自体はアヴァンギャルドで俺は個人的には好きだなーと思ったわけです。w
 でももちろんこの写真は過激だったし。人によってはセクハラだと思う人もいて当然だし、上の意見にもあったようにパブリックな場における性は本来社会的なものだから、表現の方法がいささかまずかったかなというのはありますね・・・。何もそこまで脱ぐことはねぇだろーと。id:amamako氏が言うように、それひっくるめて表現っていっちゃうんなら、露出狂もひとつの表現、ということになってしまう。そこはマジョリティもマイノリティも変わらんだろうし、マイノリティだから許される!ていう話でもないと思う。
 そういったことで、今回のごたごたはなんとなく、彼ら自身も示唆するように、その団体が起こした一種の「確信犯的な」テロのような様相を見せているように感じたわけで、やっぱり撤去されるのが大学運営という面においては、妥当な判断かなーと思いました。まぁでもそうなると彼らマイノリティたちの活動の場はどんどん狭まっちゃうわけで、でも彼らがアブノーマルじゃない形で何か表現できるか?といわれれば、それは無理だと思う。だって彼ら自体が社会的にアブノーマルだから。どちらの意見を尊重するべきなのかは、本当に難しい。そんなことを考えました。
 結構このごたごたを通していろいろ知れたような気がします。少なくとも問題はそこまで単純な話ではないことが分かりました。
1月25日見に行ってみよっかな。面白そうだし。いろんな意味でね。
追記:敬称抜けてたんで修正
追記2:id:sadamasato氏 確かに。ダヴィデ像も確かに社会的な性だ。そこと、今回の件を分けるのは生身の身体を用いてるか否かなのではないかなーと思ったり。そこらへんの点はよくわからないです・・

追記3:「性器があらわになっていたかどうか」をめぐってはまだはっきりした結論は出ていません。現在id:K416氏によって確認中です。
その箇所が以下の記事です。

http://d.hatena.ne.jp/K416/20090127/1233054393
http://d.hatena.ne.jp/K416/20090128/1233111372
http://d.hatena.ne.jp/K416/20090128/1233148742

 僕としても、自分の「写ってた!」という発言によって話がややこしくなることは本意ではないですし、ましてや「写ってた写ってなかった」でもめるのも全く本意ではない。それだけ念入りに調べていただいて、無かったということでしたら、僕の見間違いということもあるかもしれないので、ひとまずこのページを経過として掲載しておきます。また詳細わかり次第ここに載せます。

追記4:id:K416氏によると、「該当する写真は見つからなかった」とのことなので、報告しておきます。したがって僕の見解も訂正いたします。

*1:じゃないんだろうけど、服装から類推するに男女を意識したものでした

*2:いわゆる両性具有的な。つっこみがあったので訂正

青春の終焉(終わってるのかどうかもわからないけど)

あんね、唐突にいうけど、今22才周辺の人は、久しぶりにハワイアンシックス聴いたらはっとするよ。ハワイアンシックスじゃなくてもいい。
ゴイステでもモンパチでもいい。テンフィートでもロットングラフティーでもハイスタンダードでもいいスネイルランプでもいいブラフマンでもいいグリーンデイでもいいアタリスでも

青春パンク、ないしメロコア。聴きまくってたよ俺は。
今になって、たまに聞くとそのメロディの疾走感にはっとすることがある。
高校のころとかスタパンとかハワイアンとかサボテンとかガガガとかゴイステとかニコチンとかを、
チャリ乗りながらウォークマンでひたすらきいて、
無駄に焦燥に駆り立てられてた記憶があるんだけど、
この焦燥感って何なんだろう。

高校生の頃俺は朝昼夜いつも焦ってた。
あの頃は生活が燃え尽きて行くのが見えた。
焦燥感だけで生きていたし、勉強も部活も恋愛さえも焦燥感だけでやっていたようなものだった。
マッドカプセルマーケッツ聞きながら受験勉強してたときの俺の焦燥感は本当にマックスだったんだけど、
あの時結局俺はやたらぎらぎらして、何にあせってたんだろう。
何かやらかしたい、でも何もできない自分に?閉塞感?何?
 
時は流れた。
2009大学4年の冬。
あの頃焦燥に駆られながら渇望していた、空想していた未来に、今俺はたしかにいる。
ただ俺は高校生時分の俺に問うてみたい、あの頃空想していた未来の自分は今ここにいますか?
・・・・・

気づけば、かなりの時間が流れていた。
その間にいろんな知識を身につけた。いろんな風景と出会って、いろんな人と出会って、いろんな本に出会って、そんないろんな出来事がしょーもない自分の考え方を変えてくれた。人の気持ちを考えられるようになったし、自分の働きかけが他人にちゃんと届くことも知った。本当に本当に本当に感謝したい。
べたな言い方すると、成長したなって思う。曲がりなりにもね。就職活動はでかかった。
何が良いことで、何が悪いことなのか、どう振舞えば大体幸せになれて、どう振舞えば不幸せになるかもおぼろげながらわかるようになった。
以前と比べると落ちついたね、と本当にいろんな人から言われるようになった。正直うれしく思う。
社会に出る心の準備もしなくちゃいけないし将来のための道筋もそれなりに考えなくちゃいけない。
そんな今。
ものすごい勢いで無理やり我に返る。
そして来た道を振り返る。

そして戸惑う。本当に戸惑う。
そりゃもう涙が出そうなくらい戸惑う。

俺は本当にあの頃から遠くに来てしまった。
もうあの風景や、あの人や、あの本や、あの講義や、あんなネットつながりの人や、このブログや、こんなインターネットや、あなたに出会う前の昔には戻れないことも知ってる。
もう闇雲に焦ることはできない。
むしろ余裕を見せなくちゃいけない。
ただ、あの頃と同じように無邪気にいろんなこと考えられたらなーと、今の俺はただそれだけを願う。

幸いにして俺の未来はなんとか開けている。
学生卒業まで60日。何ができるかな。

*1

*1:ハイクの文章+アルファ。

あけましておめでとうございます

 遅くなりましたインターネットの皆様あけましておめでとうございます。
 去年は就活卒論にてんてこ舞いでした。
 今年も思いついたことを思いついたときにここにのせていければなぁと思っています。
 1週にいっぺんぐらいは更新したいですね。まぁ無理かもしれないですけど。ハイクもあるし。
 今年もよろしくお願いいたします。

昔はケータイで着メロを作れた。

 携帯電話は日々進化を続けているけどその中でいつの間にやら、つかなくなった機能があります。
 それは、着メロを作れる機能です。
 俺は最近、この着メロ作成機能がケータイに復活したら楽しいのになぁと思ってます。
 俺がケータイを買ってもらったのは高1のころ、j-phoneのsh08でした。
 2002年ぐらいのことです。写メールがまだ珍しかったころこのケータイはカメラがついててとっても楽しめるケータイでした。もちろんカメラの画素数なんて31万画素ぐらいだしその他スペックも今のケータイと比べたらぜんぜん劣るんだけどそれでもこのケータイには着メロ作成機能がついてました。
 カメラにあきだした俺は、この機能を使って、小学校の校歌・中学校の校歌・高校の校歌を作って友人に送ったりしてそれが仲間内で広まったりして、結構この機能を楽しく活用してた一人です。ケータイなので操作性なんて知れてますが、着メロシーケンサとしては十分使える機能がついてたし、波形編集もできたりして、音いじって新しい音作るのも相当楽しかったです。
 このケータイを3年間使った後、2006年になって機種変したときには、すでに着メロ作成機能はついてませんでした。
 何でこの機能は消えちゃったのでしょうか。たぶん考えられる理由としては着うたの台頭があったり、そこまでみんな使わない機能だったから、というのがあるかもしれません。今なら普通にパソコンで作ったほうが早いでしょうしね。でも気軽に音楽作成できるこのツールは間違いなく高校のころの俺にしてみれば神機能でした。最近になって8bitなチップチューンがさり気に流行ってる今、着うたもいいけど着メロの音も捨て切れんなーって思ってる人は少なくないと思うんです。
 何でいきなりこんなこと言い出したかというと、最近弟に、ゲームミュージック着メロがダウンロードできるCGMモバイルサイトを教えてもらって、どんなのがあるのかなと思って見に行ったら、その音源のほとんどが2003年〜2005年ぐらいで、ほとんどがSH53やSH010などのケータイを使って作成したものだったんです。最近アップロードされている様子はあまりありませんでした。しかもケータイで作った割には音もかなりしっかりしているし、再現性も高かった。とくにFC音源。
 みんながケータイで思い思いの着メロを作成して、アップロードして楽しめる土壌がせっかくあったのに、着メロを作成できる敷居があがっちゃって、なんかもったいないなーって思ったんです。
 まぁ大多数の人はそんなちまちま着メロ打ってる暇なんてないし、PCでやりゃ早いに決まってるんだけど、もしこの機能が復活したら面白いのになぁ、とは思っています。少なくともファミコンサウンド好きな暇な中高生には流行る。そんなやついねぇか。